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事務所通信Vol.9 part3(2010年10月)

■今月の気づき
 使う!「論語」、
 日々の自分にあてはめてみると大発見満載!

◆私たち現代人にこそ「論語」!

ワタミ鰍フ渡邉会長の著書に「使う!「論語」」三笠書房発行があります。

論語の有名な文節を取り上げて、一つ一つ渡邉会長がご自分の経験・理解の視点から大胆に解説しています。

読んでいますと、渡邉会長でなくとも誰もが何かしら思い当たる節のあるものばかりです。例えば『我十有五にして学に志す。(私は15歳で学問の道に進むことを志した。)』の件では、渡邉会長が十歳の時に、父の会社の清算を目のあたりにした悔しさから、自分が将来経営を志すことを決めた瞬間が記されています。そしてその瞬間から経営者となるべく上向きの角度を持って成長しようという軸が出来たと言います。

ひるがえって私の場合、どうであったか。少なくとも10歳の時も15歳の時も、将来○○になると言った決意は無かったことが悔やまれます。

世の大部分の方が同じでしょう。しかし論語の言葉のように15歳で将来何がしかの者になるべく志すということをしていたら、かなりの方の人生が今とは変わっていたのではないでしょうか。

今月は「論語」の言葉にあらためて向かい合うことを通して、つたないながらに感じた思い、自分の至らなさに気付かされる瞬間を一緒に体験していただければ幸いです。

 

◆学びにどん欲であれ

 「憤せずんば啓せず。せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反せずんば、則ち復せざるなり。(私は弟子が自ら求めないのであれば、教えない。うまく表現できずにもどかしさがつのっていないのであれば、言い方を教えない。例えば、四隅の一つを教えれば、他の三つの隅のことを考えて応じるような者でないと、それ以上教えることはしない。)

渡邉会長はカンボジアのある小学校を訪れた時のことを紹介しています。子供たちがみな黒板に向かって一斉に身を乗り出し、食い入るように先生を見つめていて、ようやく勉強できるようになった喜びに溢れていたそうです。将来何になりたいかと問えば、瞳をきらきら輝かせながら「医者になりたい」「先生になりたい」と語ります。

ひるがえって私たちが住む今の日本では、何かの目標に向かって一生懸命に頑張らなくとも一定レベルの生活は保障されています。よほど必死にならなくても人並みの衣食住を確保するのは難しくありません。

そんな日本でよく言われるのが、指示待ち人間という言葉です。立派な学歴ある人もそうでない人でも、自分の頭で考えずに他人に言われることをそこそこうまくやろうという人が増えています。

彼らは教えたことしか教わろうとはしません。その上教えたことも十分に吸収できません。

 今やいかに自分の頭で考え、自分で必死に学ぼうとする社員や経営幹部を育てるかが、すべての会社にとって大きな経営課題になっていることを肌で感じます。ともかく必死で自分が学び取ろうという意欲の無い人に何かを教えようとしても、猫に小判です。私自身もせっかくの学びの機会、成長の機会が眼の前にあるのにも関わらず、それを見過ごすことは大変な自分の過失だと、気を引き締めずにはおれません。

 

◆具体的に具体的に徹底的にイメージせよ

「学びて思わざれば則ちくらし。思いて学ばざれば、則ちあやうし。(先生から学ぶだけで自ら考えない人は、学んだことを実地に活用できない。一方、自分勝手に考えるだけで、先生から学ぼうとしない人は道を誤りやすく、危険である。)

渡邉会長は、具体的な想像力(イマジネーション)を挙げています。

会長は2020年までにワタミグループの売上を1兆円にしようとイメージし、その内訳を国内外食3000億、海外外食1000億、中食2000億、介護3000億、農業500億、環境500億としています。

このようにただ思うだけであれば誰でもできます。これを実現するために必要なのが「学ぶ」ことです。資金はいくら必要か、働く人は何人か、仕入れは、立地は、どんな技術が必要か、不動産や業界のことも知る必要があります。

これらの知識を学び、実際に事業として組み立てるために具体的にイメージを膨らませて考えるのです。会長は特にカラーでイメージすると言いますが、具体的にありありとこの目で見るようにまたあたかも体験したかのようにイメージしてこそ、予想外の課題にも対処して事業を推し進めることができるのでしょう。

私なども自分の中小企業・中堅企業の経営が円滑に進むようにサポートをする会計事務所の建設という使命をもって計画的にことを進めています。もっともその計画は日々更新、朝礼暮改の連続です。普段から問題意識を持っていますから、新聞・テレビ・雑誌・ネット・会話の中でも中小企業・中堅企業の経営に関わる情報、経営者サポートや会計の情報には敏感です。その中でも自分なりに取捨選択して、これはと思う情報については、ノートに取ってさらに深堀りしたりします。

今の時代、情報は溢れていますから、自分なりに情報を見極める目を持ち、自分なりに具体的なイメージを組み立ててみることが大事なように思えます。要は知識や情報を鵜呑みにせず、前後でよく自分の頭で考えることが必要です。

 

◆毎日120%で生きているか!

「苗にして秀でざる者あるかな。秀でて実らざる者あるかな。(芽を出して苗になっても、穂を出さない人もいるのだなあ。穂を出しても実を結ばない人もいるのだなあ。)

誰でも優れた才能、資質を持っているものです。しかしその力を生かし切っていない人のなんと多いことか。2000年以上も昔の中国に較べ、現代の日本の何と恵まれていることか。衣食住の水準と言い寿命と言い自信を持って誇れることでしょう。しかし「努力する姿勢」は昔の人に誇れるでしょうか。

渡邉会長は、「夢の実現に向けて、毎日死ぬほどの努力をしなければならない。」「毎日を120%で生き抜く」ことで毎日が輝くと言います。

少し前からNHKでタレントさんのお父さんやおじいさんがいかに苦難を乗り越えて来たのかを当時の写真、再現ドラマ、関係者の証言などで綴って紹介する番組が放送され注目されました。

高橋恵子、マルシア、川平時英他、毎回タレント本人が聞いたことも無かった父や祖父の必死の努力が描かれていて、誰もが涙無しには見ていられない内容です。

これを見てつくづく思うのは、明治大正そして昭和初期の日本人は、本当に皆必死に頑張ったんだなということです。家族を食わせるために、何の仕事でもしたし、故郷を離れ見知らぬ土地で思い切った挑戦をしたり、転機の度に財産を処分したり、本当に現代では考えられない苦労と努力を少し前の人はしていたことを目の当たりにしました。

朝起きて寝るまで仕事、日曜休日が無いなど当り前、それ位打ち込むのが当り前でした。仕事があるだけ幸せというもの。発展途上国や最貧国から出稼ぎに来る外国人労働者もその点では昔の日本人のようです。その必死さ努力の度合いではまだまだ学ぶことが多いと言わざるをえませんね。

ちなみに私自身、毎日120%で生きているかと問われたら、何とか100%を毎日クリアすることで良しとしていた気がします。課題は不足しているブラス20%とこれをコンスタントに続けることです。

そのためには後で余計なことに時間とエネルギーを費やしてしまったと思えることをしないこと。適当に来るもの拒まずで時間を過ごすのではなく、見るもの聞くものすること会う人などを常に自分の意思で選択するように意識して過ごすということでしょうか。試行錯誤が毎日続いています。

 

◆他責と自責、どちらが良い結果を生むか?

「君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む。(君子は何事の結果も自分に責任を求め、反省する。しかし小人(自分の考えや意見を持たない人)は他人のせいにして、反省することはない。)

売上が上がらないのは景気のせいだ!政府のせいだ!はたまた客が馬鹿だから!何をか言わんや。

仕事のミスは、上司の指示の仕方が悪いなど。

原因や責任を他に求めるのは悪い癖です。それによって一時的に気が楽になるかもしれませんが、そこで自分は何も悪くないのだからと開き直って、何も変えなければ、同じような事態で再び同じような結果に陥る可能性が高いということ、冷静に考えれば誰でもわかる筈です。

でもいざとなると次回こそ良い結果を得られるように反省して改善するよりも、一時の気休めという快楽を選択する人間の何と愚かなことか。

また他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられると言います。他人を変えようとするならそれが徒労に終わる覚悟が必要です。しかし自分を変えるのは考え一つ、自分だけでできます。そんな意味合いもこの一文から考えさせられますね。

 

◆良い世の中作るも壊すも人の意思次第!

 「人能く道を弘む。人、道を弘むるにあらず。(人間が正道(人としての正しい生き方)を広めるのである。自然に正道が人間に広まるのではない。)

世の中には道徳というものが元々自然に存在していて、その絶対不変の規範・規律に人間が従っていけば大人物に成長できるのでしょうか。

孔子は「それは違う。人が主体的な努力をすることで道が広がっていくのだ。」と明言しています。

長い歴史の中で、価値観や価値基準も随分変遷をたどっています。また風土が全く違う地域では人々の求めるものも生き抜くための工夫も違ってきます。イスラム教では、貧しい者が盗みをすることは悪ではないとか、利息を取ってはいけないとなっていて我々だと驚いてしまいますが、価値観・価値基準が絶対的なものでないという証左だと言えます。

例えば神様が与えた規律を守れば誰でも極楽に行けるというような都合の良いものがあれば、人間にとってはこの上なく楽なことでしょう。でも渡邉会長他多くの心ある人が言うとおり、人間が自分で考える努力をせずに、人智を超えた何らかのものにただ頼るだけでは世の中は良くならないと考えた方が説得力あります。

 やはりいかなる道徳を身に着けるべきか一人一人が積極的に考え、道を切り拓くべく一心不乱に努力する中から、本当の正道、道徳が実現していくのだと思います。

例えば私であれば一人の職業人として、横浜市民として、日本国民として、そして地球人としてどうあるべきか、日々真剣に考え、あるべき姿と相照らしながら、自分の至らないところを埋めるべく必死に努力することということになります。

論語の世界を垣間見て参りましたが、いかがでしたでしょうか。論語の言葉が私たちの日々の暮らしと密接につながっているということがおわかりになったかと思います。私たちが日々の暮らしの中で迷い悩んだ時、論語の言葉を思い起こして考えることができれば、きっと道を誤ることも遠廻りすることもずっと少なくなるに違いありません。

(文責:赤沼)